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2022-11-25

🌸人それぞれの学び。辛い時こそ。大神様の慈愛

※この記事は、2011/12/3の記事を少しリライトしたものです。

皆さま、こんにちは。

光明稲荷神社 神職 髙野みどりです。

今日は、「人それぞれの学び。辛い時こそ。大神様の慈愛。」

いうことについて お話をさせていただこうと思います。

 

私は、稲荷大神様の使いのものとして、皆さま始め、生きとし

生けるものたちの為、未熟ながらもお役をさせて戴いております。

まだまだ、色んなことが勉強不足の私にとって、稲荷大神様の

ご眷属さまは、宇迦之御魂之大神さまと私の橋渡しをしてくださる

と同時に、私のお傍にいて いつも緊急時の事などにも対応してくださる

とても心強い神様です。

 

そして、常々、ご眷属様について思う事は

「ご眷属神様はとても謙虚で慎ましく知性溢れる神様」ということ。

そして、決して、「滝行せよ」とか「どこそこにいけ」「ああしろ、こうしろ」

「これが欲しいあれが欲しい」等、一切おっしゃらない。

その代わり、私が足りない事、分からないことは、いつも物事は体得して

学び、覚えていくという様な形で私を導いてくださいます。

 

霊視していて分からない事があり、自身で何も努力をせず

「何であるのか」などと安易に聞こうものならば

「勉強せよ」とおっしゃられ、決して直ぐにはお答えを戴く事は出来ません。

例え、その行動が結果、一般的に言う良い事に結びつかなくても、

その体験が辛さ、悲しさ、憤りだったとしても、

一度、体験させられます。そして、その一つの結果から、様々な

次につながる多くの事を学ばせて戴くのです。


よく、皆さまが「神も仏もない」とおっしゃいますよね。

私も以前に辛い事ばかりが続いた時「何故、私ばかりがこんなに辛い目に。

神様なんていない」と神様を恨んだ事も正直、ありました。

けれども、「決してそうではない」という事が「かみごと」を重ねる毎に

少しずつ理解出来て来ました。

そして、私はそのような辛い体験も神様の慈愛だと思えるようになりました。

 

不幸があってもそれを不幸とは思わず、大難が小難で済んだと

守っていたただけたことを有難く感謝して、辛い事の中で

多くを学べた事で前進するか。

はたまた、不幸は不幸でしかないと己の運の無さを恨んで

やけくそになり、人のせいにして当たり散らし、己の人生を

投げ捨てるか…。

 

今の自分の置かれた辛い状況を受け止めて、自分自身の不安や

怖れ、怒り妬み恨みから脱すること。

言葉で言うは易し。人知では到底できない事かもしれません。

とても難しいことかとは思います。


しかし、独りで考えない事です。

人知だけで考えどうこうしようと思わない事です。

随神の道を歩む私たちは神様の子です。

神様は「いつも在られる」のです。

つまり、「見守っていて下さる」と言う事なのです。

神様は決して私たちが乗り越えられない課題はお与えになりません。

「乗り越えよ」と見ていてくださっています。

これはまさに親の愛と同じです。

人によっては、「そんなこと言ったって、不幸は不幸。悪い事はない方が

いいに決まってる。神様からの課題? 都合良い考え方だ」

そう、仰る方もいるかもしれませんが、、、。

 

私はそうは思いません。

神様の御存在を信じているからこそ、です。

己に与えられた課題。 真摯に受け止め、元気に一生懸命に

正道を進み、取り組んでいったら必ず、光は見えてくるはず。

そう信じて今まで歩んでまいりました。


人それぞれに人生があります。 決して誰一人同じ道ではなく、

良い時も悪い時もありますが、人としての学びは皆、早かれ遅かれ

同じ事を学ぶのです。これは現世だけのレベルではありません。

魂としての学びなのですから。

ですから、人を恨んだり妬んだりする必要はないのです。

皆、同じなのですから。己のすべきことを粛々とすれば良いのです。

 

私も日々、修行です。まだまだ一喜一憂する事が多々あります。

何事にも動じずにいる事は難しいです。(^o^;)

そんな時には神様に「未熟者で申し訳ありません」とお詫びします。

神様は「大変だのう」といつも苦笑いして私をご覧になられています。

己の道、随神の道、一歩一歩、歩んでまいります。(^_^;)v

「笑う門には福来る」

最後までお読みいただきましてありがとうございました。


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