🌸伏見稲荷大社ご祭神 田中大神様 四大神様
皆さま、こんにちは。光明稲荷 神職 髙野みどりです。
今日は、伏見稲荷大社ご祭神の田中大神様、四大神様
についてお話しをさせて戴きたいと思います。
伏見稲荷大社の御祭神は平安初期から三座が
ご奉斎されていたと記録されるようになりました。
伏見稲荷大社の見解では、
下社に主祭神であられます宇迦之御魂之大神さま、
中社に佐田彦大神さま、上社に大宮能売大神さま
を祀られたとされ、後に新たな三座は、
下社摂社・田中社の田中大神さま、中社・摂社の四大神さま
となり、現在ではこの五座を合わせ稲荷大神と称されております。
田中大神さまや四大神の御名は、平安時代末の藤原頼長の日記である
「台記(たいき)」に見られ、「神祇拾遺」によれば弘長三年(1263)に
この二座を加え五座とされたという記述があります。
宇迦之御魂之大神さまと同様にかつては記紀に出て来るような
神々と同じにみなされており大己貴神(おおなむちのかみ)や
佐田彦神、鴨建角身命(かもたけつぬみのみこと)などと同一視されました。
どのような経緯で伏見稲荷大社に祀られる様になったかは定かではありませんが、
その名の通り「田の神」であられたのではないかと推測されています。
伏見稲荷大社では「元は稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、
あるいは土着神的傾向が濃厚であるようです」としております。
(伏見稲荷大社HP)
稲荷山は古くから三が峰といわれており、秦氏が三ノ峰に稲荷大神を
鎮座される以前からお山一帯は神奈備山として信仰の霊山でございました。
この地帯を紀の郷(後に紀伊郡)と呼び、紀朝臣(きのあそん)の人達が
栄えておりました。
今日の東福寺の西の辺りにある一群の森を神籬(ひもろぎ)として
定めており、加茂(下鴨)の建角身命(たけつねみのみこと)を鎮めて
田中神として崇めていたと伝わっております。
この社は、延喜の制の名神(みょうじん)小社の飛鳥田(あすかだ)神社
で稲荷本社から伏見街道から北方に御鎮座いる境外摂社の田中神社が
その一部であると伝えられております。
この田中神社とお山の荒神峰にあられます田中社神跡との関係は
諸説ございまして今日でもはっきりとした定説がありません。
様々な資料や専門家諸氏のお話しをお聞きしても本当に謎だらけの
田中社でございます。
さて、次は 伏見稲荷大社ご祭神 四大神様のお話しでございます。
紀朝臣(きのあそん)に代わり、秦氏一族が稲荷山一帯で
勢力を誇る様になり稲荷山の三が峰に稲荷大神がご鎮座されました。
秦氏に信奉されてくるにつれて紀氏の人達は荒神峰に鎮めた
別雷神を祀る大八嶋神社を改めて山裾の藤尾(ふじのを)の地
に遷しました。
そして、別雷神と紀氏の祖先である武内宿禰、宿禰と
縁深い八幡神(応神天皇)とその御母であられる神功皇后とを
併せて四大神という名で呼ぶようになったそうであります。
御本殿最北端座に奉祀されている田中社に相対して
大八嶋社は御本殿最南端に御奉祀されております。
そして田中社のご鎮座の由来が定かではないのと同様に
伏見稲荷大社の境内の禁足地に「大八嶋社」は四大神が社殿を
持たない神として祭祀されております。
ご祭神名に関してですが、田中社は農耕神的な色合いが
強いのに対して、四大神は四柱が一座に御祭祀されているのが
定説とされておりますが、神名については異なった神名を
それぞれの方々が唱えていらっしゃいます。
その中には洛西松尾大社御祭神の一座として四大神が
祀られているという定説もあるようです。
例えば「水台記」では、『底筒男命(そこつつのおのみこと)、
中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、
神功皇后(じんぐうこうごう)』の四柱で一座とし、
「神祇拾遺」では、『五十猛神(いそのたけるのかみ)、
大屋姫(おおやひめ)、抓津姫(つまつひめ)、事八十神(ことやそがみ)』
としております。
けれども、ご祭神の神格、ご鎮座の経緯は不明です。
何故、一柱の神名を四大神と呼んだのかも四柱の総称なのかも
定かではありません。
伏見稲荷大社のHPでは、田中大神、四大神について
「元は稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、あるいは
土着神的傾向が濃厚にあるようです」と書かれてありました。
専門家諸氏も様々な見解を述べられています。
前田夏蔭は四大神を「若年神(わかとしのかみ)、
夏高津日神(なつたかつひのかみ)、秋比売神(あきひめのかみ)
久久年神(くくとしのかみ)」四柱としています。
これは、秦氏(伏見稲荷大社を創建した)によって創建された
松尾大社には四大神神社が境内末社としてあり、この御祭神は
現在の神名で表記すると、「春若年神(はるわかとしのかみ)、
夏高津日神、秋比売神、冬年神(ふゆとしのかみ)」としてあり
「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」では、久久年神を冬年神
として四柱としております。
「古事記」では大気都比売神の子に「若年神、夏高津日神、
秋毘売神、久久年神」の名があります。
久久年神に関しては「久久の二字は音を以ゐよ」との注記があり、
『冬』ではなく、「久久」が正しいとして前田夏蔭、本居宣長も
茎の意とした様です。
前田夏蔭は四大神は宇迦之御魂大神と同じ様に「食物神」の
大気都比売神から生まれたこれ等神々の御名は春夏秋冬、
稲が生長していく様を現しているねとの見解があったようです。
ただし、松尾大社の四大神社の祀られる経緯は定かでございません。
伏見稲荷大社の境内末社には大八嶋社(おおやしましゃ)がございます。
この御祭神も四大神です。松平健氏は大八嶋社を竈戸殿(かまどの)
ではなかっただろうか??との推測の元、御祭神の四大神は竈の神
だろうとの見解としているようです。
いずれにしましても、この様に一言で「お稲荷様」申しましても
本当に複雑で沢山の諸説があり、どれが定説なのか?
お稲荷さまは不思議が一杯の神様!!
歴史的背景はとても参考になりますが、
真意の程はと言うと、???がとても多くあります。
御神名や同一とされる御神体の事等、疑問も多々ありますし。
色々と調べつくし、どうしても分からない時には、、、
私は畏れ多くも直接、大神様にお聞きしてしまいますが ^^;
やはり、大神様は「学ぶこと」「体得」を常に仰られます。
何もせずにお聞きしたときなどは「自身で学びなさい」
とお叱りを受けたことが昔、ございました。^^;
大切なことは、何事もまずは、自身で頑張ること、ですね!!
こうした歴史を紐解いて様々な事を学ぶこと、
何が出てくるんだろう、このワクワク感!! は測り知れません。
歴史的ロマンですね~。(^ ^)
皆様も是非、様々な古い歴史的文献、古書などの
一ページを開いてみてはいかがでしょうか。
きっと、新たな発見がある事でしょう。
という事で、稲荷大神様について色々とお話をさせて戴きましたが
諸説ありで、この場でお話しできることとして
真偽のほどは分かりませんが、、、
というよりも、大事なことは、まず、知識の一つとして学ぶ、
という事であると思います。
そして、随神の道を行く中で、真が見えてくる、分かって来る、
のだと思います。
この世に存在する全ての御恵が稲荷大神様であられること。
五穀豊穣、衣食住の全てをご守護くださいます。
その深く尊い御力の御加護を私達は
畏れ多くも、日々、戴けている、
ということでしょう。
日々、神様の御神徳を戴ける事に感謝ですね。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
※この記事は、2013/03/20と 04/16の内容を少しリライトして
掲載しました。