🌸伏見稲荷大社参拝させて戴きました。「大神様からの尊きお言葉に感謝」
皆さま、こんにちは。光明稲荷神社 神職 髙野みどりです。
令和四年十一月十六日、午後六時半、出発。
伏見稲荷大社参拝させて戴きました。
久しぶりの参拝という事もあり、何か緊張感に包まれながらも到着。
大鳥居をくぐり、父母の元に帰ってきたような懐かしさで感無量でした。
畏れ多いことですが、、、。^^;
稲荷大神様からは「いつ、参る。」「そなたに申し伝えたいことがある」
とのお言葉を戴き、早々に日程を決めて上がった次第でございます。
どんなお言葉を戴くのか、、、、。
怖い。というのが正直なところでした。
神職を志した約17年前から、そして神職となり大神様のお役をさせて
戴いて約12年余り、、、。
自分なりに一生懸命に走って来たつもりではあります。
が、、、何を仰られるのか、と。
そう思いつつ、素晴らしい、伏見稲荷大社の境内に入っていきました。
いつ来ても、清々しいエネルギー。美しく、そして、強さと懐の深さを
感じさせていただける場所でございます。
イナリダイジと共にあちこちの装飾を改めてしみじみ眺めつつ、
ご本殿に向かいました。
ご本殿にて、まずは、稲荷大神様にご挨拶をさせて戴きました。
今までご守護戴きました感謝と共に、長きに渡り、参拝を見送らせて戴いた
ご無礼をお詫び申し上げました。
そして、恐る恐る、大神様のお言葉を戴くべくお申し出を
させて戴きました。
有難くも尊きお言葉を賜りました。
そのお言葉は、今まで賜りましたどのお言葉よりも
深く強く、私の心に響きました。
この未熟な私に稲荷大神様からお言葉を戴けるなど、
畏れ多いことでございます。
誠に誠に、ありがとうございます。
この尊きお言葉をしっかと、心に刻み、今後とも
イナリダイジと共に随神の道、歩ませて戴きたいと
改めて決意新たにさせて戴きました。
本殿から境内奥、千本鳥居の入り口、と申しましょうか、
稲荷山の麓、入り口をご守護すべく御眷族様の命婦専女大神様が
御鎮座されておられます。
稲荷山に上がる前に、ご挨拶をさせて戴きました。
御前に参りますと、「おかえり」とお声をかけてくださいました。
母の元に帰ったかのように出迎えてくださいました。
この様なお言葉は、初めてでした。
命婦さまの温かな母のような優しい慈愛の心、
お気遣いのお気持ちに私は、畏れ多いことと、
あまりの嬉しさと共に申し訳なさ、に涙が出ました。
命婦様は、稲荷大神様から私が戴いたお言葉をご存じだからこそと。
有難くて有難くて、、、。
もっともっと、大神様の御心に沿うような人間になりたい。
改めて、そう思った次第でございます。
命婦さまの温かな母のような優しい慈愛の心、
お気遣いのお気持ちに私は、畏れ多いことと、
あまりの嬉しさと共に申し訳なさ、に涙が出ました。
命婦様は、稲荷大神様から私が戴いたお言葉をご存じだからこそと。
有難くて有難くて、、、。
もっともっと、大神様の御心に沿うような人間になりたい。
改めて、そう思った次第でございます。
命婦専女大様にご挨拶をさせていただき、稲荷山に上がっていきました。
そして頂上におわします、末廣大神様にご挨拶をさせて戴きました。
末廣大神様は、大きく深い御心でいつも私を見守ってくださいます。
そして、時々、その強さが怖いなぁと思う事もありました。
しかし、今日はいつもの末廣大神様と違っていました。
何故か、娘を気遣う父のようでした。
命婦専女大神様と共に、末廣大神様は私にとっては父と母。
畏れ多いことではありますが、ずっと、そうして見守っていてくださいって
おられます。
本当に本当に、感謝という言葉しか、出てまいりません。
末廣大神さま、誠にありがとうございます。
末廣大神様の所には、私どもの亡き愛猫たちがたくさん、お世話になっております。
今日は、あの子たちとの再会の為、大神様にお許しを戴き、
少しだけみんなとの楽しいひとときを過ごさせて戴きました。
みんな、変わらず、元気な様で安心いたしました。
けれど、末廣大神様から立ち去るときはとてもとても、辛く。
哀しさ、寂しさがこみあげてまいりました。
住む世界が違う、さよならしなくてはならないのだ。
いいえ、いつも一緒。あの子たちと共に生きているのだと。
色んな感情が駆け巡りました。
少し、寂しさを感じつつも自分に言い聞かせて稲荷山を下りていきました。
こうして、稲荷山を下り、命婦専女大神様、稲荷大神様にご挨拶を
させていただき、無事に伏見稲荷大社参拝させて戴き
帰路に着きました。
最後までお読みいただきありがとうございました。