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2022-11-03

🌸日本人の心、感謝の心 思いやりの気持ち

皆さま、こんにちは。

神職 スピリチュアルヒーラー 髙野みどりです。

今日のお話は、「日本人の心、感謝の心 思いやりの気持ち」

をさせていだきます。

 

戦後、アメリカの自由な思想が入って来てから、

殆どの日本人がアメリカ的な自由に憧れてこれまで来ました。

合理的、簡単、などなど、今までの日本にはないスピーディで

気楽に楽しめる事がアメリカ文化の良さ?でした。

 

英語を話せる、かっこいい!!

外人みたいな服装、インテリア、かっこいい!!

外人みたいなダンス、音楽、かっこいい・・・。

私も若い時にはアメリカ的な文化に憧れました。

 

日本に昔からある面倒臭い作法、面倒くさい挨拶、

礼儀正しくする事、おもてなし…

これら全てが格好良くない事、古臭いこと。

と、そんな風に写っているのかもしれません。

 

けれども、最近つくづく思いだす事があります…。

今のお役をさせて戴く何十年も前の事。

私が英会話講師をしていた頃の事です。

生徒さんのご自宅に教えに行っていた時の出来事です。

そのお宅での事が今でも忘れられません。

 


私の仕事は生徒さんのお宅に伺う、言わば家庭教師です。

一人のお子さんに大体、45分のレッスン。

レッスン後に、どの生徒さんのお母さんも「お疲れさまでした。

一休みされてくだい」とお茶を出して下さいました。

私は、温かなお気遣いにいつも感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

とある生徒さんのお宅での出来事です。

そのお宅もお伺いすると必ず、お茶とお茶菓子が出ます。

来客用としての特別なお持てなし用の食器、

そして、お菓子もわざわざ、デパート、ホテルなどの

お店でお買い求められた品でした。

 

出し方も洋風、和風もちろん、お茶のお作法に

則った丁寧な出し方で出て来るのです。

でも、別に特別お金持ちだから 唯、高い食器、

高級なお菓子だったわけではなく

子供の為のおべっかを使っている、など゛

と言う事では決してありませんでした。

 

我が子の為に教えて戴きありがとうございます。

遠い処をおいでくださりありがとうございます、

どうぞよろしくお願いします、と言う気持ちが現れていて

「おもてなしの心」という気持ちが感じられた、

とても気持ちの良いものでした。

でも、単なる英会話講師の為に、このようにおもてなしをしてくださることに、

ちょっと恐縮してしまってましたが^^;

 

このお宅は生徒さんが幼稚園の時から教えていまして

その時には小学校高学年でした。

それまでずっと変わらずそのような

おもてなしをしてくださいました。

 

そして、何より、嬉しかったのは、

お月謝を戴く時のことです。

いつも必ず、月謝袋に綺麗な御札で

ピンとした気持ちの良いお札が入っていました。

毎回の事ですから、これは出来る様で中々、出来ない事です。

 


 

人によってはお財布からそのままシワクチャの

お札を出したかと思うと、

「あの~、幾らでしたっけ? 細かいのも無くて・・・

おつり、ありませんか」と聞かれる始末。

初めてならば未だしも、毎回、戴いていたりして

最初から金額は分かっている筈です。

生徒の様に子供ならばまだしも、大の大人なのですから。

怒るというよりも残念に思います。

 

そんな事、気にする事かしら?

大したことじゃないでしょ。払えば同じなんだから。

こっちはお金払う立場だし、対等でしょ。

なんて、中には思われ方もいらっしゃるのではないかと思います。

私は拘り過ぎ?小うるさい?

いいえ。

これは、相手に対する感謝の心、思いやりの心の持ち方、

だと思います。

私はこのようにきちんとしたお礼の気持ちを現して下さる事に

とてもありがたい気持ちになり、私のしている仕事を認めて

受け止めて戴いている、と、とても嬉しく感謝の気持ちでいっぱいになります。

日常のほんの些細な事かもしれないけれども、この感謝の心、

日本人としての忘れかけているのではないか・・・そんな気がします。

 


十数年前から、稲荷大神様のお役をさせて戴き、

多くの皆さまの大切なお役をさせて戴いておりますが、

いつも、皆さまからは例外なく、綺麗な気持ちの良い御初穂料です。

皆さまの大神様に対するお気持ちが本当に嬉しく、心から感謝しております。

とても幸せな気持ちになります。

なので、昔のクシャクシャのお札の事を思い出しては

苦笑いして忘れるようにしていますが(笑)

 

義理でする事に苦痛を感じているから、形だけに拘るなんてナンセンス。

そうではありません。

日本の伝統文化の作法もみな、利にかなっていますし、

そつが無くてその作法をする事は余分な動きもなくてとても綺麗なのです。

これは、私が神道の作法をしていても感じます。

見ていても、作法をしても本当に気持ち良いものです。

 


そして日本人としての贈り物…

相手の気持ちを思い、相手に感謝を送る事、これが贈り物をすることが本来の形ですね。

例えば、お中元やお歳暮・・・

いつの間にか、大量に送ったりするようになり、みんな義理となってしまった。

相手に何か求めようとする気持ちが働くようになって、

こっちが何かしたから何かして貰おう、向こうがこの位の品物だから

同等のものを送らないと何か言われて借りをつくってしまう…

そんな打算的な考えの為にいつのまにか義理のおもてなし、

となってしまったのです・・・。

悲しい事です。

 

贈り物とは、なんでしょうか。

どんなささやかなものであっても、何も無くても、

「ありがとう」の真心を伝えることが一番大事です。

贈り物とは元々、相手からの見返りを求めるものではありませんね。

そもそも、相手からの見返り、お返しを求めるものではありませんものね。

 


 

日本の心、感謝の心、思いやりの心…

忘れないでいてほしいと思います。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。

※この記事は、2011年10月25日のものを少しリライトして掲載させて戴きました。

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