🌸 宗教と信仰って何がちがうの??
皆さま、こんにちは。 光明稲荷 神職、髙野みどりです。
今日は、「宗教と信仰って何がちがうの??」について
お話しさせて戴こうと思います。
※この記事は、2011/09/30 に掲載された内容を少しリライトしたものです。
私のセッションルームにいらっしゃるクライアントさんから、
よくこんな質問される事があります。
「宗教って何ですか?」「神さまと仏さまって?」
「いろいろな神さまや仏さまを祭ると喧嘩しませんか?」
などなど・・・。
この、「いろいろな神さまと仏さまを一緒に御祭りする」
ことに関しましては、明治維新前までは神仏習合の時代が
ずっと続いていたので、仏さまと神さまを一緒にお祭り
することを普通にしていました。
お寺の中に神社がありお坊さんが神道の神事もしたり、
神社の中にお寺があったりして仏さまを安置していたのです。
けれども時代の流れで神社と寺院は別々に切り離されてしまいました。
今でも、その名残りはありますが・・・。
この事については長くなってしまいますので、
又、時を改めて書きたいと思います。
さて話は戻りまして、
ご神仏さまについては皆さん、疑問が沢山あるようです。
私たちにとっては身近な神さま、仏さまのはずなのに、
本当の処は「????」
実際には知らないこと、知らない事だらけのようです。
以前のブログでは、神さまや仏さまについての事を
書かせて戴きましたので、
今回は、「宗教」と「信仰」について書いてみようと思います。
よく、私もクライアントさんからお聞きされた時には、
『「宗教」と「信仰」は違いますよ。』 とお答えしています。
私が、様々な神さまと仏さまのお力をお借りして
セッションしているのを目のあたりにされて、
みなさん、とても疑問に感じてしまうらしいのです。(^o^;)
「髙野さんは神職ですよね。って事は、つまりは神道でしょ??
なのに、神道以外の他の宗教である仏教やキリスト教の神さま
や仏さまと接しても良いのかしら???」って。
そういえば、神職資格を取得する予定の者は、神道に改めなければ
資格取得の為の神職課程がある大学に入学ができない、
との神社本庁神職の規定?があったような気がしますが・・・。
それに対して私は反論するつもりは毛頭ありません。
私は古神道神職ですし神社本庁傘下の神職ではありませんし、
神道のみに改める事も必要ないのでしていません。
みなさん、神道を仏教やイスラム教、ヒンズー教と同じ宗教
だと思っていらっしゃる方が多いと思いますが・・・。
私は神道は宗教ではないと思っております(^o^;)
賛否両論ありますが・・・。
神社本庁に属する神社は全て宗教法人です。
そう言った事から見れば、神道は宗教かもしれません。
けれども、一部の神社では宗教活動を避けている
傾向がある事も事実。
戦前の神社は「国家の宗祀であって、神社は宗教ではない」
という考えが根底にはあるようです。
また、神道には宗教を超越した宗教の源泉、霊性開発の原基
として考えていらっしゃる神道関係者も沢山いらっしゃるようです。
山、川、海、滝、田、木、森、岩、石、鹿、鳩等の
生きとし生ける物たち・・・
私たちを取り巻く自然そのものが全て、尊い存在である神なのです。
ですから、古代から人々は自然を敬い、自然の怒りである天災を治め、
五穀豊穣と安全を祈ってきました。
これは、日々の生活に密着していました。
朝起き仕事を始める前には、お日さまに向かい柏手を打ち、
海に漁に出るときは海の神さまに漁の安全を祈り、
田植えの時には、田の神さまにお供え物をして豊作を祈る…。
この日本古来からある民俗信仰の心こそが神道の心である
と私は思っています。
さて、話を戻しますと、
私の家にはもちろんご先祖様ご供養の為の仏壇もありますし、
神棚もあります。
主人の先祖は浄土真宗大谷派ですので、毎日、阿弥陀様に
ご先祖さまご供養をお願いしております。
私の実家は日蓮宗ですので、実家のご先祖さまには
日蓮宗のお経も上げます。
もちろん私自身、どの宗門宗派にも属しておりませんので
何宗・何教徒でもありません。
ちなみに、神道は八百万の神々さまです。
各々の神事に際して、あらゆる神さまに降りて戴きます。
例えば、病気祈願はこの神さま、家内安全はこの神さま、
地鎮祭はこの神さま、厄払いなどはこの神さま、などなど。
それぞれの得意分野とされていらっしゃる神さまにお願いするのです。
もちろん、私のご守護神さまはいつもどの神事にも
降りて来てくださいます。(^_^)
そしてまた、様々な仏さまにもコンタクトさせて戴く事が可能なのです。
私のご守護仏さまはもちろんのこと、これも神さまと同様に、
その得意分野の仏さま、またはそのクライアント様の
守護仏さまなどにご守護をお願いすることができます。
「え~仏教と神道??その宗門宗派の信徒でもないのに??
ますます、分からない・・・(@o@)」となるかと思います。
ではでは、「宗教とはなんぞや??」なります。
Wikipediaから引用させて戴きますと、
「宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を
中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、
儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである」
とあります。
なるほど~、世間一般で言う「宗教」というのは、
つまりは「宗教団体」という事なのでしょうね。
仏教でしたら宗門宗派、新興宗教でしたら○○教、などなど・・・。
けれども、その「宗教」の定義となる、「宗教とは何か」
という問いに対しては、宗教者、哲学者、宗教学者などによって
非常に多数の宗教の定義が試みられてきたようです。
「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」らしいですね。(x_x)
まあ、いずれにせよ、「宗教」=「宗教団体」と言うことでしょうか。
私も子供時代にはとある新興宗教に入信していまして
悲しい経験があります、というか、今となっては笑い話ですが(^_^;)
あるお祭りで同級生に誘われて皆で神社に行った時の事です。
皆は、鳥居をくぐり、どんどん境内の中に楽しそうに入って行くのですが、
私は足がすくんで立ち止まってしまいました。
「なんでこないのー??早くおいでよ」と同級生たちに呼ばれるのですが、
一歩も進めないのです。
私は、「鳥居をくぐると地獄に落ちる」と信じていたのです。
その頃、その入信していた新興宗教の方にそう教えられていたからです。
私はまだ小学生…。同級生に変に思われたくなくて、
同級生たちが見ていない隙に、鳥居をくぐらずに鳥居の横から
境内に入りました。
もちろん、神さまに参拝など出来るわけがありません。💦
うまくごまかしてみんなの後ろでもじもじしていたのを覚えています。
信心する違う神さま仏さまの処になんか行ったら地獄に落ちると
子供心にも信じていたのでとても恐かったんだと思います。
けど、みんなと一緒にお祭りに行きたかった。( ;∀;)
苦渋の決断(笑)だったんでしょう。
そんな子供時代を過ごしてきた私自身にとって、
「信心規制?のある宗教団体に属する」と言う事よりも
直接ご神仏さまと向き合う事が一番大切な事と思っております。
ですから、いずれの宗門宗派、宗教団体にも属しておりません。
どのご神仏さまに対しても平等に私自身の「信仰」があるのです。
では、「信仰」とはどのようなことなのでしょうか。
英語では「faith(フェイス)」と言います。
Wikipediaから引用させて戴きますと、
「神や仏などを信じること。
また、ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。」
とあります。証拠抜きで確信を持つことなのですね。
また、信仰のことを仏教においては「信心(しんじん)」
と呼ぶことが一般的であるようです。
この「信仰」というのは、一つの神さまや仏さまを信じるのも
「信仰」ですし、いろいろなご神仏さまを信じるのも「信仰」です。
ただ、「宗教」となると、先程書きましたように
本人の考えや気持ち以外にその団体におけるさまざまな
規則・規制が出て来てしまうのです。
つまり、「宗教団体」においては、その枠の中での「信仰」となります。
長々と書きましたが…
私の場合は『「個人的な信仰」であって「宗教団体で宗教活動」
をしているのではない』と言う事なのです。
ですので、宗門宗派、宗教の規制なくご神仏さまとコンタクト
させて戴けるのです。
いやぁ、ややこしいですよね~。(@_@;)
私のつたない説明でしたが、「宗教」と「信仰」の違い、
おわかり戴けましたでしょうか??(^_^;)
賛否両論あるかとは思いますが、信じるご神仏さまがあれば
宗教団体に属していようが居まいが、どのご神仏さまを
崇敬しようがしまいが、どちらでも良い事と私は思います。
大事な事は、その信仰される方が違う信仰の人を誹謗中傷せず、
人さまに自分の信仰を強要せず、そして人さまに迷惑を掛けずに
ご神仏さまを信仰し、ご本人が日々、健康で幸せでいることが
出来る毎日であるならば良いのですから…。(^_^)
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
COMMENT:佳子さんDATE: 08/21/2013 16:53:22
TITLE: ずっと気になっていたこと
初めまして。疑問に思っていたことを、
こちらにお伺いさせて頂いて、ようやく晴れた気が致します。
私の実家も、浄土真宗ですが、叔父が自殺したことをきっかけに、
御供養したいとの思いから、母が、知り合いの方を通じ、
日蓮宗のお寺で、供養をさせて頂くことになりました。
お寺と申しましても、有名な寺院とかではなく、
年老いたおばぁちゃんがいらして、本当にひっそりと、
神様を奉っていて、不思議なのですが、お参りすると、
お風呂上がりのような気持ちよさと申しましょうか、
心が洗われる、そんな感じでした。
私が高校生の時でしたから、かれこれ30年くらい経ちます。
今もずっと信仰は続けております。
何かある度に救われて、神様に守られていると思っています。
近頃、お釈迦様が降りてきた…という友達に、色々なことを聞かされ、
自分がこれまでやってきたこと、迷い、悩み、苦しんでいた時に、
ネットからここに辿り着きました。
不思議と安心感に包まれております。貴重なお話を掲載していただき、
感謝しています。ありがとうございます。長々とスミマセン。