🌸令和四年八月十五日 光明稲荷 月次祭 「月次祭の意味。当たり前の幸せ」
皆さま、こんにちは。 光明稲荷 神職 髙野みどりです。
令和四年八月十五日、本日は、七十七回目の終戦記念日です。
多くの亡くなられた戦没者様、そして共に犠牲となった
生きとし生けるものたちの尊き御魂のご冥福を
心からお祈り申し上げます。
今朝は、台風が去ったものの、まだ大気の状態が不安定の様子。
曇ったり晴れたりしています。
また、暑い日差しが照り付ける日々が戻ってきました。
本日は、十五日。
月次祭を執り行わさせて戴きました。
ご奉納の品、皆さまより初物とのことでお送り戴きました。
温かきお気持ち、誠にありがとうございます。
大神様にご奉納させて戴き、ご祈念申し上げました。
当方からは、無農薬玄米をご奉納いたしました。
大神様、いつも誠にありがとうございます。
月次祭。この「月次」つきなみ、という意味。
皆さまはどのように思われますか?
よく、「つきなみ」というと、まあ、当たり前、いつもと一緒、
毎回、代り映えしないなどなど、会社でも毎月定例に執り行われる
月次の会議、イベントとか、、、。
どちらかと言うと「なおざり」的な意味合いを思いうかべられる方も
多いのは、「月並み」の漢字の意味合いが強いからかと思います。
この「月次祭」。
神道では確かに定期的に繰り返される祭ではありますが、
とても大切な神事です。
元々は、天皇の福祉、国家の安寧を祈念した祭りで、古代より行われた
朝廷の年中行事でした。毎年六月、十二月に朝廷が全国の官幣大社
304社の祭神に幣帛を奉納いたしました。
戦国時代(応仁の乱)に一旦は中断したものの、明治5年に復興され
第二次世界大戦前まで執り行われ、また、現在は伊勢神宮を例外として
廃絶されたとの記述がありました。
伊勢神宮では、神嘗祭と六月、十二月の月次祭を
三節祭としてもっとも重要な祭儀として行われてきました。
一般の神社では、月の一日、十五日などにそれぞれの神社の由緒に
ちなんだ祭を月ごとの報賽(感謝)の為に執り行う祭を「月次祭」として
おります。
というように、神様に報恩感謝を申し上げる祭、とでも申しましょうか、
とても大切な神事です。
私も、毎回、月次祭では大神様に尊きお言葉を戴きます。
なので、「月次祭」は、決して「当たり前の祭」「毎回やる当たり前のもの」
ではありません。
むしろ、毎月、無事にお祭りをさせて戴けること。
しかし、いつも新鮮で、いつも新しい。
決して、同じ月次祭は無いのです。
今日は終戦記念日です。
「同じ過ち」を未だ、繰り返す国がこの世界にまだ存在している現在。
朝起きれば、当たり前に目を覚まし、当たり前に仕事に出かけ、学校で学び、
選んだ人生を楽しみ、過ごせる日々。
そして、今、こうしている中にも涙を流し、哀しみの中に
生きていらっしゃる方々、人間の犯した過ちの犠牲となり
過酷な日々を強いられている生き物たち。
自身の大切な人生。生き方、そして、
今日、明日を生かさせてもらえるのかさえも選べない。そんな日々。
繰り返してはならない悲劇の中で頑張っていらっしゃる。
一日も早く、楽しく幸せに満ちた日々が戻ってくるようにと
非力ではございますが、今朝の月次祭にてご祈念させて戴きました。
大神様、ありがとうございます。
今日は、お盆休みでいささか、皆さまも、ゆったりとした朝をお迎えに
なられたかと思いますが、いつもは、何かとお忙しい日々を
お過ごしでいらっしゃることと存じます。
あれもこれも、色んなことがグルグルと回る日々。
良いことよりも辛い事、心配なこと、などとなどで頭がいっぱい。( ;∀;)
そんな時こそ、改めて、「月次祭」の本当の意味を思い出してみてください。
フーッと深呼吸しましょう。
当たり前に毎回、しなきゃいけない、ではなく、
当たり前にさせて戴けること、生かさせて戴けていること
への感謝が蘇ってくるはず。
日々を大切に、瞬間瞬間を自分なりに精一杯、
一生懸命に生きましょう。
同じときは二度とないのですから。。。
さあ、八月も後半です。
まだまだ残暑厳しい日々です。
コロナ対策、熱中症対策万全に、元気にまいりましょう!!