🌸山川草木、自然への感謝。その神事の意味とは?
こんにちは。光明稲荷 神職 髙野みどりです。
今日は、「山川草木、自然への感謝。その神事の意味とは? 」
のお話です。
「亡くなった父母が植えた古木があるのですが、
大分、痛んで来ていて・・・。
色々な思いがありまして切ってしまうのはどうかと」
「亡くなった父が植えて大切にしていた梅の木ですが
土地と共に梅の木も他の人に売却することになりました。
ずっと毎年、綺麗な花を咲かせていたので
梅の木への今までの感謝と手放す事、
木を切り倒すことにあたってへの許しを乞い、
禍が起こらない様に祈願したい」
「たかが木でしょう? 」
「いちいち、伐採の度に祈願するの?」
木にまつわる逸話、ならわし、などは
諸説、さまざまにあります。
木の神、木の神霊の存在を信じる信じない。
木の障りを信じる信じない。
色んな考え方があろうかと思います。
皆さまはどのようにお考えになられますでしょうか。
わが国では太古より八百万の神々が存在し、
自然崇拝、つまり、山、川、草、木に
宿る神を敬い親しんできました。
特定の山や川、石、樹木は神が坐す(います)場所、
神が宿るもの(依代・よりしろ)とされご神体とされたり、
ご神木などとされて神使とされる生き物もあります。
それら特別なものに限らず、木や植物、など
自然界のものは魂が宿る、として丁重に扱ってまいりました。
現代でも、山林に於いて年輪の大きな古木の伐採の時など
伊勢神宮などを始め、大きな神社が遷座の時に使うために
切り出す特別な樹木などに限らず、
山に入っての作業は勿論のこと、海へ漁に出る、
田植え、工事を開始するなどの段には必ず
大なり小なりの神事を執り行う事が引き継がれています。
当社、光明稲荷神社でも、小さいながら神社として
樹木伐採式など樹木に関する大切な神事、
数多く、ご奉仕させて戴いてまいりました。
このように自然界のものに対して人力を加え環境を変える時。
建物、家屋を新築や解体する時、樹木があり
切り倒さなくてはならない、持ち主が変わる等の場合にも
樹木伐採式、忌斧祭・大木祭などとして
神事を執り行なわさせて戴きます。
樹木が今まで長い歳月を太陽、風雨から家屋など
建物を守ってくださった事、又、綺麗な花を咲かせ
皆を和ませ楽しませて戴いたことへの感謝と共に
伐採させて戴く事、その工事にあたって斧を入れる事など
全ての事に対して禍が起こらない様に。
又、譲渡させて戴く事、その後の樹木の行く末の諸事に
関しての事由を神々にお伝えして、そのお許しを乞い、
また今後いかなる禍もなく平穏であるようにと
鎮魂と共に祝詞にこのような祈願の内容を入れ作成し
神様に祈願させて戴くのです。
もしも、木の神霊、神様が存在しないのならば、
神事や礼節を疎かにしても、何も起こらないのならば、
古代から続く、このような儀式は絶えていくはずです。
現代人にとっては人間こそがこの世の中、地球全体を
全て統治している。
木も植物もその他、自然界に存在する生き物は
人間の従属物に過ぎないとお考えの方も
いらっしゃるかもしれません…。
けれども私たちは、宇宙の一部。つまり、自然の一部なのです。
「本当に大切なもの、大事なもの、恐れ敬うべきもの」とは
「目に見えない存在である」、と言う事を
心のどこかに忘れずにいて戴きたいと思います。
そして、私たちの生活の中において
太古から続く礼節を以て行う行為、神事などを
させていただく、ということの
本当の意味、大切な事とは何なのか。。。
少しでも多くの皆さまにも知っていただき、
改めてこのことを考えていただけたらなぁ、
と思っております。
最後までお読みいただきありがとうございます。