令和四年 歳旦祭 光明稲荷神社
皆さま、あけましておめでとうございます。
光明稲荷神社 神職 髙野みどりでございます。
令和四年一月一日、新しき年の穏やかな元旦の朝となりました。
本日、歳旦祭をささやかながら執り行わさせていただきました。
大神様の元、新しき年を何事も無く、無事に迎えることが出来ましたこと
心から感謝でいっぱいでございます。
の度も皆様からたくさんのご奉納の品々、賜りました。
誠にありがとうございます。
イナリダイジの渾身の作(笑)の真鯛です!!
今回はいつになく、大きいサイズでした。!(^^)!
さて、神前拝礼から神事は進みます。
修祓(しゅばつ)
祓戸四柱大神にご祈念し、切火を切り、大麻(おおぬさ)、
塩湯(えんとう)にて清め祓いをいたします。
鎮魂、磐笛奏上。
糸魚川翡翠の磐笛にて奏上いたします。
清らかな磐笛の音色が神前に響き渡ります。
大祓詞奏上、そして 祝詞奏上です。
玉串奉奠です。
神事はつつながく、粛々と静かな気の中、進んでまいります。
神前拝礼にて、無事に滞りなく、本年初めての神事が
終了いたしました。
☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡 ☆彡
「何事もなく無事に」
よく私どもが奏上させていただく祝詞にも書き入れる言葉ではございます。
「何事もなく」というのは、この世を生きている以上ありえないことです。
何かしら、物事できごとは大なり小なり起こります。
これは、「良きこと、悪しきこと」という出来事。
その時には、悪しきことかもしれない。
けれども、過ぎ去って考えてみると何かかしらの出来事があり、気づけた。
そして、難を未然に防ぐことが出来た。
何事も辛い嫌な出来事、試練、というネガティブなことでは収まらない。
「大難が小難で済んだ」 「終わり良ければ総て良し」
という結果になっていることがあります。
つまりは「何事も無く」ということは、そういうことなのではないか、
出来事があることは、「何事も無く」に繋がるのではないかと。
修行時代の頃には、祝詞奏上するときに違和感があった
「何事も無く」が、今は本当にしっくりと来るようになりました。
と同時に、 何かの体験を通して 大きな気づきを戴き
一歩、また、新たに前へ進むことができることを学ばせていただけるのだと。
大神様に改めて深い感謝の思いでいっぱいとなります。
また、新たな年が明けました。
皆さまにとられまして穏やかな、
そして 笑顔溢れる一年となりますことを
心からご祈念申し上げます。
大神様の元、未熟ながらもお使いのものとして恥ずかしくないように
精進努力を怠らず、まっすぐに随神の道を歩ませていただきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
令和四年一月元旦
光明稲荷神社
神職 髙野みどり